じもとで生まれ育った 「菅原 正和 これまでの歩み」。

子供の頃

菅原家十一代目 農家の長男として、昭和35年1月21日若林区南小泉で生まれる。
かなりの難産だった様子で、吸引という方法で生まれる。
頭の形が悪いのはその影響。

幼稚園、小学校の頃

運動会は大得意、足が速く一等をとっていた。小学生の時、車に興味を示しすべての車種を記憶していた。この記憶力を勉強に生かして下さいと担任からコメントを頂く。レゴブロックが得意、何かを作り出すことに非常に興味を持っていた。
◆仙台市立遠見塚小学校卒業。

中学校の頃

ソフトテニス部に入部するが、友達の影響で一年で辞める。
2、3年生は柔道部に所属、中体連の試合中に左足首骨折。
◆仙台市立南小泉中学校卒業。

高校の頃

仙台育英に進学するが、勉強嫌が突然変異、よく勉強するようになる。
商業科という事で、新たな科目簿記が加わり猛勉強。簿記検定試験で満点を取り、学校から満点賞として表彰される。
毎日6時に起きて両親が経営する喫茶店の掃除と洗い物の手伝いを行っていた。
「努力すれば、必ず結果がついてくる」という事を学んだキャロル、矢沢永吉に憧れ見かけは“やんちゃ”であったが、中身は真面目な高校生であった。
◆私立仙台育英学園高等学校卒業。

大学の頃

初めてアルバイトを経験する。ガソリンスタンドというかなりきつい仕事であったが、お金を稼ぐ喜びを初めて知り努力次第で収入が増える事を経験。ガソリンスタンドの制服のまま授業を受ける事もしばしば。入学金と前期の授業料を親に出してもらったが、卒業するまで学費もこずかいも自分で稼ぎ半分独立の生活を送っていた。学生時代、友人と北海道、北陸、京都と旅をする。六名全員が長男である為、「長男会」という名のグループをを結成し、現在も親交を深めている。
両親が深夜まで働き、親の背中を見てきた高校時代、アルバイト先のガソリンスタンドの社長の経営方針など、学ぶ事が非常に多く、自分の生きていくペースが出来た時期でもある。

「継続は力なり、夢は夢で終わらせることなくあくなく努力をする」

この言葉も、この時代を経験したからこそ生まれたのだと思う。
庄ノゼミ(大学のゼミ)にて交通論を専攻していた。
◆東北学院大学経済学部商学科卒業。

サラリーマン

協同組合日専連仙台会入局。
遅延しているクレジットカード会員の回収の仕事として業務課に配属になる。当初、先輩とペアーを組みながら仕事を覚えていくが、慣れない督促の仕事でなかなか慣れず、会社始まって以来の過去最低の回収率をあげ、上司から「だめ社員」のレッテルを張られる。悔しかったのはあまり教えてくれない先輩の指導では回収の仕方が上手く理解できなかったこと。
その後一念発起、自分で学ぶしかないと心に決め、同僚、回収の上手い先輩からコツを盗み出しいつの間にか同僚の中でトップ成績をたたきだすようになる。
自分では「ダメな社員じゃなく、やり方が解らなかっただけ。」

良い事は見て覚えそして盗む、そして自分のものにしていく、この行動は今でも続いている。

異例の一年目での転勤、足を踏み入れたことのない県北古川営業所に配属。
営業、回収、窓口業務全てをこなす。
営業経験はなかったが、佐沼、築館地区の新規開拓に販路を見出だし、古川地区の商店から情報及び知識を聞き出し、自分の知識として営業活動に利用していた。商店主からは情報提供者として重宝され、佐沼地区ではほとんどなかったカード売り上げを倍々に増やすことに成功、加盟店向けに、接待教育マニュアルなどを作り、指導役として店員教育の一役を担う。販売士の資格取得にも取り組み、地方での接客向上に一役かう。

遅延金回収の成績を上げるため、裁判担当という肩書に改め、訴訟に持ち込む方法で回収率アップ。同業者から一目置かれていた。

営業も、遅延金回収も自分のアイディアを形にし、実践していたサラリーマン時代ではあったが、当初予定の三年目に仙台に戻す約束は実現せず、さらに同業者との給料の格差に唖然とし、「自分で稼ぐ」という野望にあふれ、三年でサラリーマンを辞める。

自営業

喫茶スナックマミー
家業に入ることになるが、サラリーマンで培った営業力が接客で通じず苦労の連続。売り上げは落ち込み、自信があった「営業力」「努力」が全て通じない。自信の欠落、客離れ、全てが悪循環の日々。

一筋の光

ここに来る人は色々な人がいる。「話を聞いてもらいたい人、静かに飲みたい人、悲しい時や、うれしい事があり飲みに来ている人、あなたはそのお客様に合わせた接客をしていない。つねに自分だけの売り込み、安らぎを感じる事もないし、ほっとできる事も出来ない、お客様の心を読んでこそここのサービスがある。」お得意様の有り難い一言で目が覚め、聞き役に徹する接客を学ぶ。

何に対して金を支払ってくれるかを考えさせられた時代でもある。

地域で仕事をすることは、地域に奉仕する事も必要という事で、自営業を始めた年に交通指導隊南小泉分隊に入隊、諸先輩の指導のもと、地域との結びつき、先輩方との交流により地域に根差した活動を展開して今年で入隊歴30年を迎える。

奉仕する精神、大切さの基礎はこの交通指導隊から始まっている。

地域活動の他に「何か社会に役立ちたいと思い」から、社会体育指導者として勉強し始めた時期でもある。仙台市コミュニティースポーツ大学3期生として地域のコミュニティースポーツ発展の一役を担う指導者になるべく学びの場に。その後、社会体育指導者の知識、技能審査事業によるC級スポーツ指導員に認定される。

スポーツ指導者仲間と、一般主婦に低料金でスポーツを楽しむ社会体育研究所を立ち上げ、社会体育を楽しむ提案と実践を行っていた。

自分で時間を上手く活用できたのも、自営業だから成し得た事である。

カラオケボックス セブンテン
自営10年目に新たな事業展開としてカラオケボックスセブンテンを開業。
昼夜を問わずの仕事環境から、時間が割けなくなった社会体育指導者の道を一旦休止し事業に没頭。

平成12年新たな転換期

知人から「わかばやしまちづくり倶楽部」の参加を勧められ、今まで踏み入れたことのないまちづくりという分野に参入。行政と市民とで創る事業の面白さに目覚める。

政治に強く関心を持つきっかけがこのまちづくり倶楽部である。

プロフィールの振り返り

自分の人生を振り返ってみると色々な局面があり、新たな歩みを見せている。

地域活動、社会活動、まちづくり、全てサラリーマンだったら進めなかった道であろう。時間的拘束が無い自営業だから出来た事ではないのか。

社会の中に色々な指導者がいる、皆さん自分の時間を上手く作り出している人である。自分の想いと、社会に対する想い、熱ければ、こうしたいと思えば行動するしかない。

私の根底に流れているのは「人のために役立つ人間、そのために自分のエネルギーを使っていく」これが生き方の根幹になっている気がする。

「自分が出来る事はあきらめずチャレンジしていく、夢はあきらめず、あくなき努力をする。結果は次第についてくる。」

この言葉を心に刻み主体的市民として一歩一歩歩み続けます。

社会活動

  • 保護司
  • 仙台市南地区交通指導隊南小泉分隊分隊長
  • 仙台市若林区テニス協会理事長
  • 猫塚古墳ねこまつり実行委員会事務局長(http://nekomaturi222.at.webry.info/
  • NPO法人(政策学校)一新塾32期・34期生
  • 自由民主党宮城県連 宮城未来塾2期生
  • 特定非営利活動法人 World Open Heart 会員
  • 公益社団法人全日本不動産協会宮城県本部顧問
  • 宮城県理容生活衛生同業組合顧問
  • 宮城県理容組合若林支部顧問
  • 仙台市立南小泉中学校同窓会副会長
  • 仙台育英学園高等学校同窓会顧問
  • 仙台歯科医師議員連盟顧問
  • 宮城県美容業生活衛生同業組合顧問
「住みたいまち、日本一」をめざして それが、私、「菅原 正和」です。
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